計測を行ってさらに一年後、百十二例の虫垂炎のデータが集まった(平成四年二月から平成六年二月)。
内訳は、男性五十八例、女性五十四例。
年齢は五歳から八十四歳で、平均年齢は二十八・六歳である。
このうち、軽症(三十五例)発症時の平均気圧が1011hpa、中程度(四十七例)が1013hpa、重症(三十例)が1019hpaであり、またしても高気圧のときほど重症度の高い虫垂炎が発症することがわかった。
重症の患者さんのなかには、虫垂の壁に穴が開いてしまうという超重症といえる穿孔性虫垂炎が十二例含まれていた。
こうしたもっとも重症度の高い虫垂炎が発生したときの平均気圧に限って言えば、1023hpaとさらに気圧が高くなっている。
これを、季節ごとの気圧の分布から調べると、気圧の低い四月から九月に発症した六十例は軽症・中程度が多く、気圧の高くなる十月から三月にかけて発症した五十二例は、重症が多いことも認められた。
とくに、超重症の穿孔性虫垂炎に関しては八十二%が気圧の高い時期だった。
切除した虫垂からは、大腸菌・緑膿菌、バクテロイデス菌、肝炎菌、枯草菌などが検出されたが、菌の割合と炎症の度合いについての差はほとんどなかった。
とすると、やはり「だし」が吹いたあとの晴れた日に虫垂炎の患者さんが運び込まれるのは、偶然ではなかったのである。
私は、この発見に胸を躍らせた。
医者になって二十数年、「治せない」ことに半ば絶望していたが、ようやく「治療」につながる新しい希望が見つかったのかもしれないのだ。
そして子供時代に、野烏を追いかけ続けたときのようなワクワクした気持ちで、この謎を解き明かしたいと願うようになる。
しかし、それ以上進むには、専門家の知恵が必要だった。
私は医者の研究会に行くたびに、この発見を発表することにしたのだが、まわりは無関心でこれといった反応はかえってこない。
それでもあきらめきれずに外科学会などにも持ちかけると、気象と虫垂炎の関係をテーマにした演題そのものが断られるようになってしまった。
単なる無関心を超えて、「変なことを考える妙なヤシ」と思われるようになったのかもしれない。
真顔で、「先生あんまり余計なことに首をつっこまないほうがいいよ」と忠告してくれる人もいた。
同じく医師をしている妻にも話してみるのだが、「何をやっているの」と気にもとめない。
臨床医のガイドラインの中には、症状を診断し病名をつけたり、あるいは、症状に対してこのような投薬が有効であるとか治療法に対するマニュアルは存在するものの、病気の根本的な原因にアプローチするという視点は、残念ながらない。
あくまでも出現してしまった症状に対しての「対症療法」が中心で、そこから外れているものは文字通り「問題外」なのであった。
もともと優等生の医者ではなかったが、この研究にこだわり続けると、本当のはずれ者になりかねない空気が漂うようになっていた。
臨床医学で受け入れてもらえないならと、東京の生気象学(気象と健康の関係を研究する学問)の研究者を訪ねてみたが、気温や湿度から健康面にアプローチすることはあっても、気圧については未開発の分野ということで、こちらの道も閉ざされてしまった。
「虫垂炎と気圧の関係」は、病気が治癒するメカニズムを解き明かす大きな鍵になるかもしれないという私の直感は、行き場を失った.この段階でデータと言えるものがあるのは、気圧が高いと虫垂炎、それも重症のものが発症しやすいということ、ただそれだけ。
鯵着状態のまま、半年以上がすぎていった。
思い余った私は、平成六年(一九九四年)十月、 N 大学医学部教授(当時)のH 先生に相談をもちかけることにした。
H 先生は解剖学を専門とされ、『腸は考える』( I 新書)などの著書もあり、優秀な弟子たちをたくさん送り出している方だ。
私は、その何年か前から、たまに先生の研究会に出入りさせてもらっているご縁があった。
「もう八方塞がりで、どうしたらよいものなのか」と一連の経緯を説明させてもらうと、H 先生はご自分が主宰されている『 M 』という学術誌への投稿を勧めてくださった。
そこでさっそく、『 M 』に「虫垂炎と気圧の関係」と題して投稿させてもらった。
奇しくも同じ号の巻頭には、やはり N 大学医学部教授で免疫学者として有名なA 先生の論文「リンパ球進化の道筋」が掲載されていた。
新潟で医学の世界にいるとはいえ、基礎医学の研究者と私のように臨床をやる人間とは、ほとんど交流がない。
A 先生の論文を読み、「世の中にはずいぶん難しいことを研究している人がいるものだ」と思ったものだ。
ところが、知り合いの外科医にいま自分がやっている研究について雑談ついでに話をした際、「それなら A 先生に相談するといいよ。
先生は、気象と免疫についても研究されているから」やっと出会えた理解者。
A 先生は、私が二年分の「気象と虫垂炎」に関するデータをこまごまと説明するのを聞いたあと、「面白いですね、これから共同研究しませんか」と申し出てくれた。
あまりにも有難い言葉に、私は一瞬答えるべき言葉を失った。
やっと見つけた「治癒」への手がかりは、変な医者の変な思い込みでむなしく終わこんな偶然が重なるのは何かの縁なのかもしれない。
私は、同じ年の十二月十六日、思い切って N 大学の A 先生の研究室を訪ねてみることにしたのだ。
半ばあきらめていた。
それでもあきらめきれずに持っていたかすかな希望が、突如実現したのである。
ずっと足踏み状態だった研究が、このとき初めて動き出したのだ。
実は、 A 先生もずっと以前から、外的環境と人間の体のリズムや変調といった研究を行い、昭和五十六年(一九八一年)には、「血液中の白血球の種類や数は季節や一日の時間の中で変動する」という事実を突き止められていたという。
のちになって、先生は冗談半分に、「あのときは、鴨がネギをしょって歩いてきたのかと思ったよ」などと語っていたが、互いがそれぞれの立場から関心を持っていたテーマがピタリと一致したのは、やはりできすぎたほどの偶然だった。
いささかおおげさだが、ここでもまた運命の導きが働いたのかもしれない。
「年が明けたら、僕の血液をとって気圧との関係を調べていきましょう」この A 先生の言葉で、私がすでに三年近くも抱いていた胸のモャモャは晴れ、新年が明けるといよいよ共同研究がスタートした。
A 先生が毎日自分の血液を採って、白血球の中のリンパ球と穎粒球の割合を調べる。
それを、私が坂町の病院で計測した気圧の変化とあわせて分析するのだ。
なぜ白血球を調べるのかを簡単に説明すると、こうなる。
血液の主成分は赤血球、白血球、血小板であり、そのうちの大半を占める赤血球が体内の細胞に酸素や栄養を届ける。
一方の白血球は、体をウイルスや細菌などの病原菌から守る役目を果たす。
白血球の中には、リンパ球と穎粒球があるのだが、この二つの働きは異なる。
リンパ球は血液に進入した小さなウイルスや異種タンパクに対し「抗体」という撃退道具を作って体を守る。
一方の穎粒球は細菌を受け持つのだが、これらを撃退する際に、大量の活性酸素を撒き散らす。
ここで発生した活性酸素が体内のあちこちで細胞を傷つけ、病気を呼び起こす。
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